このところwe areから始まるものをよく見かける。

We are...? We are...?

We are...?

We are...?


このところwe areから始まるものをよく見かける。


先日、友人と二人でWE ARE Perfume という映画を見てきた。内容はよく構成されたドキュメンタリーで、Perfumeの実態のようなものが垣間見れた。加えて一緒に行った友人にPerfumeのイロハを教わって以来すっかりPerfumeがマイブームになっている。

ミニモニ風のローカルアイドルから始まり、中田ヤスタカの近未来的なビジョンをとり込むもなかなかうまく行かず、ブレイクまで10年以上耐えて創りあげられたグループだと聞いてすっかりファンになっちゃった。

なかでも心に残っているのは、ゆかちゃんの「Perfumeはチームなんです。目立っているのは私たち3人かもしれないけれど、演出や技術スタッフ、それから観客のみんなまで含めてPerfumeなんです」のような言葉。

振り付け師さんは結成時から変わっていないし、舞台監督やそのほかのスタッフも長年同じだから「チーム・パフューム」と呼ぶらしい。

それならWe are perfume と言うときの、we って誰なんだろう。もちろん、かしゆか、あーちゃん、のっちの三人に加えて、音響や舞台監督さん、それにもしかしたらファンの人たちも含めてweなのかなって思う。

We are the worldなんて歌もあったよね、「私たちは世界」って訳すとなんだか違和感がある。世界ってそんなに狭いものなのかな?って思う。「朕は国家なり」に少し似てる。

とはいえ、やっぱり僕的にホットなのはAnonymous。

最近、すっかり傾倒しちゃってる。Anonymousはこのとこ神格化されてる感も否めないけど、それでもとても面白い存在であることには変わりないよね。

We are Anonymous.

We are Legion.

We do not forgive.

We do not forget.

Expect us.

これが彼らの標語。このLegionというのは、『新約聖書』のマルコによる福音書 5章9節から来ているらしい。英訳がまちまちなのだけど、English Standard Versionという聖書ではこんな感じ。

And Jesus asked him, “What is your name?” He replied, “My name is Legion, for we are many.”

それを新改訳の聖書だとこんなふうに訳してある。

「それでおまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。大ぜいですから」と言った。

Anonymousはイエスに敵対した悪霊の名前をだして、自らを集団だと宣言し、「我々は絶対に赦さない。」「我々は絶対に忘れない。」「我々に期待せよ。」と宣言文を続ける。

この厨二病的な感性はAnonymousがもともと、4chanという日本の「2ちゃんねる」の模倣サイトから発生してきていることを考えると、当然なのかもしれない。

この経緯を知るとどうして日本にAnonymousのような集団ができなかったんだろう?と少し残念に思うのだけど、彼らが自らをハクティビスト(hacktivist)と名乗っているように、日本にはハッカーもアクティビストも少ないからなのかもしれないし、議論の文化が薄いからなのかもしれない。

この前、彼らはISに宣戦布告したけど、どうしてISを支援しないんだろうって少し不思議。声明の動画ではISは正式なイスラム教ではない。みたいなことも言っていたけれど、Legionってもともと悪霊なのでは?とも思う。

結局のところ、weは彼らのweでしかない。We are the worldにしても、そのweは「彼ら」を含んでいない。

僕たちって誰なんだろう?

そんなことを考えるきっかけになったのは、友人から勧められた「伽藍とバザール」という、Linuxの歴史に関わる本を読んでるからなんだ。(この「伽藍とバザール」という本もオープンソース化していて、誰でもリンクを貼っていいらしいから貼っておくね!)

LinuxというのはOSの一つなんだけど(と書くと、訂正されるかもしれない。Linuxこそが最初のOSなのだと)、これはオープンソースで開発されている。誰でもその開発に関われるし、改変できるんだ。

AppleのOS XやgoogleのAndroidなんかもLinuxベースらしいよ。この前、hackathonに参加した時、みんなMacを使ってて驚いた。

だってハッカーってよくわかなんないWindowsマシンを使ってそうじゃない?で、友人になんでそうなんだろ?って聞いたら、Windowsはオープンソースの敵だからじゃない?と言われて納得した。

このオープンソースの文化ってすごく面白いなって思うよ。この前もiPhoneのアプリを作ろうと思ったらAPIが公開されてなくて、調べたら誰かがそれをクリアするためのプログラムを配布していた。

そのことをさっきの友人に話したら、ブレイクスルーじゃん!って言われたけど、僕には理解できなかった。だって、それは他の人のアイデアじゃない?

と返したら、それがオープンソースなんだよ。誰でも使っていいアイデアなんだって言われた。だから、それは「僕の」ブレイクスルーとして考えていいんだって。目からウロコだったよ。

それ以来、オープンソースにもすっかり魅了されてる。オープンソースって、ある種のソリューションだと思ってたんだけど、それよりもっと攻勢的で思想的なんだなって。

このところCC0と言って、意図的に著作権を放棄する動きもあるよね。それは著作者を匿名化するとも言い換えられるのかもしれない。つまりV for Vendettaの主人公がガイフォークスの仮面を被って破壊工作をするように、行為物=作品を公共化することは、同時に作者をも匿名化するのかもしれない。

このときの匿名化というのは、もちろん個人名を隠すことではなくて、個人名を交換可能な状況に置くってことね。他の誰でもいいのだと宣言すること。それをしたのがたまたま自分だったから、オープンにするという考え方。

僕のこの文章もそんなふうにオープンにしていきたいなって思うんだ。きっと僕の考えていることは誰でも考えていることだし、目新しいことは何一つ書いてないだろうから。

だからこのブログが僕と君のブログ、つまり「僕ら」のブログになることを祈っています。