このところすっかり度を失っている。

不定形な歯車の 不定形な歯車の

不定形な歯車の

不定形な歯車の


このところすっかり度を失っている。

僕が僕じゃないみたいなんだ。だからこうして君に少し手紙を書こうと思う。ことの発端がいつだったのかもわからないくらい混乱しているんだ。

けれどデカルトにならって、分割していこう。心の平静を保つには、静かに自分に身を浸すか、誰かに言葉で伝えるのがいいし、僕には君のような存在がいるのだから少し聞いてもらいたい。

いや、そんなに身構えなくていいんだ。君はただそこに居てくれればいいんだ。同意も相槌さえいらない。

君がそこにいて、僕が言葉で伝えようとすることに意味があるんだ。行為に意味があるわけでもないし、内容にもない。

いつものことながら大仰だと笑われてしまいそうだけど、大切なのは君の実存なんだ。君がそこにいること、僕がそのように看做せること、それから僕が君と同じ(だと思われる)言葉を使用していることが大切なんだ。

矛盾しているようだけど、僕はあくまで君がいるかどうか分からないという立ち位置でい続けたいんだ。そうでないと僕は君を「君」として捉えられなくなる。

僕がそうであるように君もまた不断に変容し続けているから、せいぜい君を君と呼ぶくらいに留めないといけない。この「君」はさしあたり変数のxみたいなもので僕が呼びかける時の形式だと思ってほしい。

もしくは西田幾多郎が言っていたみたいに君がいるから僕がいて、僕がいるから君がいるのだと言えるかもしれない。

前置きが長くなって申し訳ない。

僕の生が混乱に侵され始めたは「好運」に身を持って行かれたからだろう。

入院はただの不幸だった。タンスの角に足の小指をぶつけるのより、少しヘビーな不幸だ。最高にヘビーな不幸が死だとすると、問題は好運の方ということになる。

死んじゃえば幸不幸の彼岸に行ってしまうけど、好運に身を持って行かれると生が鮮やかなほど深くなる。「鮮やかな深さ」というのは細かな塵に光線を投射したみたいに、そこだけ光が乱反射するような深さだ。もしくは空の青色。

時期はたぶん、退院してからだ。(けれど入院生活が僕の変容を加速させたように思う。)入院中は前も後ろも分からなくてただもがいていたけど、出てから卒論の書き直しをして大学院に進もうと思ったのだ。

なぜ僕はそんなことを望んだのか今も分からない。女の人を好きになるより遙かに複雑だ。

いずれにしても理由がなくて、理由を見つけたくてそんな道を選んだんだ。院も1つしか受けなかったし、落ちた先のことはなにも考えてなかった。(茫漠と死のうと思っていた気がする)

勝算も皆無だった。フランス語はできないし、哲学だって専門じゃない。もちろん英語も苦手だ。だから落ちるものと思って受けた。ほんとに苦痛だったよ。

それなのに僕は合格してしまった。なんてこった!今でもまだ信じられない。むしろ落ちた方が良かったのではないかとさえ思う。「君には向いてない」と言われた方が幸せかもしれない。

けれど、先生は「チャンスと思って頑張って下さい」と優しい。たぶん先生はこの言葉の意味の重さをとてもよく理解しているのだろう。

チャンスはとても重い。

ただ宝くじが当たったという類のラッキーではない。ブラックホールのように暗い決断だ。

決断と言っても、「決断は一種の狂気だ」とキルケゴールが言っていたように、受動的で非論理的な契機なんだ。自分で賭けるようなものじゃなくて、意識を超越してるような賭けなんだ。

「一世一代の大博打をする」というようなものでなく、すでに巨大なルーレットの上に一人置き去りにされていると気がつくような感覚。

君ならわかってくれると思う。

自分で何かを賭けるなんてたかが知れてる。普通の賭けは自我が所有しているものだけしか賭けられないからだ。自我が所有していないものまで、フロイトの理論であれば無意識まで含めて、賭けてしまうような賭けなんだ。

よく運がいいことをツイてると言うけど、あれも同じだと思う。自分を超えたなにかが憑いているんだろう。憑いているとか、魔が差さすとか意識を超え出てるんだ。

ただ受験がうまく行っただけなら、ラッキーくらいで済む。けれど僕はバイト先まで苦もなく見つけてしまった。友人が自分のところで働かないかと声をかけてくれたのだ。

けれど僕だってはじめのうちは彼に「なんで僕なの?」と何度となく聞いてしまった。心から不思議だったんだ。

バイトをして、大学院に合格した今だって僕は自分のことを無価値だと思っている。むしろ、ますますそう思うようになった。

なぜなら価値は交換可能なものに生まれる観念だからだ。

自分に価値を見出す人は自分を定量化して誰かと比較しているのだろう。

自分をone of themとみなしつつ、同時にunique oneであるとみなせることが成熟の条件だと中井久夫という人が書いていたように思うけれど、今の僕はunique oneからone of themにどうしたらアクセスできるかで戸惑っている。

unique oneに回収されないone of themを想定するには、まずもって自分を無価値だとみなさなければいけない。迂闊にone of themを想定すると君もまたone of themになってしまうから。オセロのように黒と白が一瞬で入れ替わってしまうのだ。

パラドキシカルだけれど僕が君をunique oneだとみなすかぎりで、その君が僕を肯定してくれると、その肯定は僕の権能から逃れるんだ。つまり君の存在を不可知とすることで、君のunique nessが僕のunique nessを肯定してくれるかもしれないんだ。

これはあくまで可能性だから、砂上の楼閣のような脆さを抱えている。

たとえば僕がその可能性を経験するのは、君がどんなに苦しんでいても僕が苦しくなく、僕がどれだけ喜んでいても君は微笑みさえ浮かべないときだ。僕が君でないと理解するときだ。

複数のunique oneが多元論的に乱立する。否定形でしか語れない未決定性のなかに留まること。

この未決定性はいたるところで露わになる。たとえば君は挨拶してくれればいい。いや、こうして僕が君に言葉を書けるという前提、つまり現前の残り香とでも言うべき、すでに僕に侵入した君の痕跡があれば充分だ。

僕を完全に超越したなにか。それは君かもしれないし、運命かもしれない。いずれにしても僕の努力や意志が通用しない位相。そのレベルで不気味な力が働いているのだ。

この不気味なものは僕がunique oneである限りで捉えられる。僕が一瞬でもone of themになれば世界はクリアで、一点透視図法の絵画のように明るくなる。逆にunique oneだとバロック絵画やキュビスムのように世界が暗く歪み、視点は散逸してしまう。

無数の巨大な歯車が可聴域ぎりぎりの低音を発しながらゆっくりと回転し、足元をみると自分もまたその歯車に乗っていると気がつく。

光は届かず、あらゆる形態は闇の中で変容し続けている。

今の僕には世界がそんなふうに見えている。けれどいつかまた違う光景がみえるのかな。

P.S.

先日、驚くべき提案を僕は友人から受けた。もちろん決まったわけではないからなんとも言えないけれど、もしその提案が実現したら僕の人生はいよいよクライマックスに差し掛かって、近いうちに死ぬんじゃないかと思う。
  1. 先に自分で感想を書いちゃおう!もうそろそろ毎度のことになりつつあるけれど、実に支離滅裂だ。どうしてこんなに支離滅裂な文章になるのか自分でもわからないし、脳神経が一部欠損しているのではないかとさえ思われる。次は論理的に書けるかな。

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  2. 「なぜ私が東大に!?」ってあれ以外と本質的だと思う。本質的であるが故、誰しもがもつ疑問をただ文面化しただけになってしまう。

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    1. あれ、僕も気になってました。そう言われるとすごく納得する。特に集客とか広告とかそういうことじゃなくて、集合的な無意識(という言葉はあまり適切じゃないけど)みたいなものから湧き出てきたんだね。

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  3. このコピーて本当は「Why」ではなくて「how」を訪ねてる訳だよね。
    方法を答えるのは簡単だけど、根源的な理由を答えるのは難しいよね。

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  4. 返信遅くなってごめんなさい。

    うん。ほんとうは「どうやって?」が投げかけでその答えが「四谷学院!」のはずなんだけど、「なんで?」って書いてあるから「why」に見えてしまう。

    でも、これを直感的に「why」でとる人と「how」でとる人がいるような気もするし、僕は即座に「why」でとってしまった。

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