とりあえずエロかった。

Kaleidoscopeについて Kaleidoscopeについて

Kaleidoscopeについて

Kaleidoscopeについて


とりあえずエロかった。

ごめん。唐突で分かんないんだけど、なんの話?

友人の展示に行ってきたんだ。「Kaleidoscope」っていうイラストレーターの二人展。

へー。どうだった?というか、その前になんで私たち話してるの?

たまにはこんなスタイルもいいかと思って。だって展示に行ってその感想をただ書くのもつまんないじゃん?それにこの一つ前のポストも曲がりなりにも展示について書いちゃったから。

ふーん、まぁいいや。なんで私なのかわかんないけど、でどうだったの?

まずギャラリーに行くまでに迷って、夜の新宿の雑踏のなかをうろうろしちゃった。夜の新宿ってほんとエロ関係が目につくよね。

それは君がエロいからでしょ?私はキャッチによくつかまるから、それどこじゃないよ。

つかまるんだ?もしそうなら、やっぱエロいんじゃない?キャッチってそういう人の斡旋してるんでしょ?夜の女に見えるんだよ。

失礼だな。普通の格好だよ。こんな無駄話してていいの?展示について話すんでしょ。

そうだね…でもイラストについて話すのって難しいなと思って。

そうなの?イラストってわかりやすくない?変な抽象絵画とかより何が描いてあるかわかるし。

でもさ、いわゆる「アート」にはそれなりにコンテキストとかあって、見方の基本みたいのがあるのよ。対してイラストってそれがないし、それを必要ともしてないんだよ。

あーね。イラストに細かい解説とか、批評とかあったら逆になんなのってなるもんね。

そうそう。だから話しづらいんだよ。

じゃーこれで、この話もおしまいね!バイバイ!

待ってよ!

なんでよ?話すことないんでしょ?

いや、そうは言っても言葉に残しとこうかと思って、わざわざ君を呼んだんだよ。

分かった、分かった。話は聞いてあげるから。じゃまず、どんな展示だったの?

出入り口がガラス張りになってるギャラリーを入ると左に友人の、右にMIRAI さんという作家さんの作品が陳列されてた。友人の方から見始めた。

まぁ、そうよね。どんな絵を描いてる人なの?

彼は手で下書きをした後に、イラストレーターってソフトで線画を写し取ってそれに色をつけて、銀色の紙に印刷したのをアクリルマウントっていうアクリル版を紙に圧着させる手法を使ってる。つまりデジタルイラストレーションということになるのかな。

アクリルマウントって最近の写真とかでも使われるよね。独特の透明感がでて、わたし好きだなぁ。

そうそう。で、作品自体はまず新作が入って左の一番手前にあった。女性の上半身なんだけど、彼女はエナメル質で光沢のある真紅のボンテージ衣装をまとっていて、肌は青緑色だった。右手にハサミを、左手に男根だか、きのこだかをにぎりしめてて、そこから細い粘液が糸をひいてて、画面上にも精子みたいな白濁液が点在してたよ。

それはエロい。けどなんかモチーフだけが性的って感じがする。それ見て君、興奮した?エレクトした?って言い換えてもいいけど。

相変わらずのダイレクトさだね。しなかったかよ。たぶん彼もそれを目標にはしてないんじゃないかな。もっとエロいのもあったけど、様式美って感じだったな。

様式美って?

うまく言えないんだけど、主題やモチーフよりも構成や線描に意識が向いている感じかな。

なら主題なんてどうでもいいってこと?

いや、それはない。主題は明らかに一貫していたし、メッセージもある。だけどなんて言うのかな、証拠の多すぎる殺人現場にいるみたいなんだ。全ては犯人を明らかに指し示していて、犯行動機もすべてよくわかりすぎちゃう感じ。

ではワトソン君、その事件現場について説明してくれたまえ。

えっと、モチーフには性器が異常に描かれていました。それから、犯される女性と動物。もしくは死体。その多くは社会的にはタブーとされているものです。そのタブーをきぐるみや大衆アトラクションのようなモチーフを交えてポップに描写していました。

ワトソン君の考えでは、彼はタブーをその反対物である大衆文化的を同時に、一枚の作品として提示していたと考えて良いのかな?

そう思います。

つまり彼の作品にあって、タブーとポップは等価に扱われていると君は言いたいわけね?

そうなるかな。

君の指摘は興味深いけれど、タブーとポップが等価かつ同時に扱われるのは文化的に言えば、ごく当たり前のことじゃない?

どういうこと?

具体的に言えば、テレビや雑誌のようなマスコミュニケーションがスキャンダルを求めたり、悲劇を売り物にするのはまさにポップ(大衆)とタブーが共存しているからじゃない?別の言い方をすれば、ポップはタブーを欲望している。
バンクシーの「ディスマランド」やもう少し古ければ、クーンズの「メイド・イン・ヘブン」のような作品が示唆していることだね。

ごめん、僕が説明するはずだったんだけどよくわからない。もう少し説明してくれないかな?ホームズ先生。

つまりね、あなたの読みはまだ浅いんじゃないかと思うのよ。彼はタブーをポップと共存させているだけなのかしら?あまりに紋切り型じゃない?

僕はなにか見落としている?

そう思うわ。

なんだろう?描き方かな。

描き方については、さっき君が教えてくれたよね?

うん。そうなんだけど、そういうテクニカルなところを超えて、絵のスタンスみたいな。

絵のスタンス?

それぞれ、一本づつの線や人物、背景に生気を感じないんだ。まるでタイポグラフィの配置でもしているみたいな。

彼の仕事はなんだっけ?

グラフィック・デザイナー。そうだ!僕にはあまりに見慣れすぎていたんだけど、彼の作品はイラストよりもデザインに近いんだと思う。

君の言う「デザイン」の意味は?

彼自身のロゴが表しているように匿名的で構成的な図形配置という意味。グラフィックデザインの肝は、図形や文字要素をどこにどのように配置するかなんだ。

例えばどんなところが?

登場人物。たぶん人物も目や口、耳といったパーツの構成でしかない。花も木もお城も、うさぎもそれぞれに同じ価値しかないんだ。だから全体として、少し歪んでいる。普通の作家なら、まず主題や人物を描くことに集中するから、自然と主題と背景には価値の差がでる。力のかけ具合といってもいいかな。
けど彼の場合は部分や観念を寄せ集めているんだと思う。まるで球体関節人形でも作るみたいに、一つ一つのパーツを組み合わせている感じ。

それが生気がないという意味?

うん。とくに顕著なのは目だと思う。アニメを見慣れちゃっている僕たちには見えなくなちゃっているんだけど、彼の描く目は目の記号でしかない。というよりベジェ曲線でしかない。

それはあらゆるアニメや漫画に共通することだと思うけど?

そうだね。でも彼の場合それがタブーの描写と結びついている。グラフィック・デザインがタブーと結びついているんだ。彼の作品で見るべきなのはポップやキュート、暴力性や幼児性といった表面的な主題ではなくて、それと紙面構成的なグラフィック・デザインが同じ熱量で結びついている点だと思うんだ。

そうだとして、この展示は2人展だったよね?もう一人の人との関係は?

うん。それを僕も言いたかったんだ。どうしてこの二人なのかなって、ずっと気になっていたから。けど、二人ともイラストより紙面構成に近いんだと思う。DMにのっていたMIRAIさんの作品も背景に人物イラストが入って、その上にレイヤーでも重ねるように幾何学模様が描かれていたよね。それは作家さんが作品を人物画ではなくて、グラフィックデザイン的にとらえているという証拠だと思うんだ。

つまり紙面上の操作を重視しているということでいいのかな。

そう思うんだけど、そうすると今度はどうして二人とも女性に拘るんだろうって気になっちゃう。

さて、なんでだろうね?君はどう思うの?
  1. 女性にこだわるのは消費物としての女性の一面を切り取って記号的に使っているからじゃないかな。君はどう思う?

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    1. コメントありがとうございます!(はじめましてですよね。)

      それはとても論理的な解釈だと思うし、その一面は確実にあると思います。けれど、もっと大きく女性絵と男性絵のような対立で考えると、また違った理由がある気がします。

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