やっとブログを更新できた!

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やっとブログを更新できた!

というのは、ちょっと忙しかったのもあるけど、ブログを書く時間を使ってbloggerのテンプレートをいじってたからなんだ。これはこれですごく面白い作業で、僕のようなタイプだといつまでもきりのない作業になってしまう。

bloggerは日本では人気のないブログ形式なので、日本語に対応したテンプレートはほとんどないし、かと言って英語圏のテンプレートをインストールするといろいろ問題が起きてしまう。だから今、君が読んでくれているこの文章は行間やフォントがすごく汚いんじゃないかな。

けれどトップページは前のより気に入っているんだ。どうしてこんなふうに表示されるのか、まだよく分かってないんだけどね。どうやらjavascript(js)という指示文章の塊がこうしてくれているらしい。

おかげさまでHTML(正確に言うならこのbloggerを規定している文章はxmlだけど)と、CSS(Cascading Style Sheets)になんとなく慣れてきた。それにそもそもこのbloggerというのがなんなのかも分かってきた。

どうやらこのbloggerというのはCMS(Content Management System)というブログやサイトを簡単に作るための、これまた指示文章の塊らしい。有名なのはWord Pressとかだと思う。


ブログテンプレートをいじっていて、いちばん感じたのは「ブラックボックス」だった。いま上に書いたHTML(Hyper Text Markup Language)やCSSというのは、正確にはプログラムではなくて、指示文章らしい。もっと下層のプログラムの上に成り立っていて、<head>…</head>とかと書くと、「この中がヘッダーですよ。」とか指示してくれる。

じゃあ誰に指示してるの?と聞かれると今の僕にはよくわからない。これがブラックボックスということなんだ。けれど、例えばインターネットブラウザにとってみると、「なるほどそこがヘッダーなんですね。」となるらしい。

だからHTMLをいじっていると、高層ビルの中にいるみたいな気持ちになる。その下の階はどうなっているかわからないんだ。とくにこのbloggerの表示をいじろうとすると、度々そんな目に会う。

例えばCSSで余白を指定してもなぜか反映されない。調べてみると、どうやらjsとかそんな感じの文字列がなにかしているらしい。まだ僕はその層に降りられないから、そうと分かるとお手上げになってしまう。

そもそも調べられるようになったのもつい最近で、それはGoogleのデベロッパーツールというのにお世話にならないといけない。これはとても面白くて、そのページがどんな要素でできているか分かるツールで、システムエンジニアの人たちも使うらしい。

けれど、その先で辿り着くのは/* JS */ gapi.loaded_0(function(_){var window=this;varia,la;_.b=function(a){return function(){return_.aa[a].apply(this,arguments)}};_._DumpException=function(a){throw…
みたいな文字列なんだ。

だからいまこうして文章を書いているけど、その構造は全くわからないのと同じで、たとえHTML要素を表示させても、<br>とかそんな単語がちょこちょこっと出てくるだけで、なんでこの文字が画面に表示されるのかはわからない。

これまたブラックボックスというわけだ。


バタイユという人が「非-知」という講義録のなかでこんなことを書いていた。

『この非-知という言葉でわたしが言おうとしていることをもう少し厳密に言えば、ある命題の内容を根柢まで掘り下げようとするとき、そしてそのことに何かひっかかりを感じるとき、こうしたすべての命題から結果するもののことを言っているのです。』

言い換えれば、「鍵をかけたトランクの中になにがあるか知らない、その鍵を開けることもできない者の立場、とでも言いましょうか。」となる。

もちろんここでバタイユが言いたいのは存在のレベルくらい下層の話で、コンピュータ・プログラムのような表層の話をしているのではない。と言いつつ、それも掘り下げてマシン言語や0と1のレベルつまり電子のプラスとマイナス値まで行くと、雲行きが怪しくなってくる。

なんだかわからないものへと下降していってしまうのだ。

例えば、この文章を書いている僕にしたって、表面的にはキーボードを押せば文字が出ることを知っているし、その理由だって調べればわかる。脳から司令がでて、筋肉が動いて、キーボードが押されてそのキーボードが…みたいに明らかにできる。

けれど、じゃあその脳って?電気信号って?となってくると、やはり知識が足りないと感じる。もちろんバタイユに言わせればそのレベルはまだ「非-知」ではない。

もう一歩進んだ先の「ある感じ」なんだ。

完全な知識をもってしても辿りつけないような問題。それは〈ある〉ということかもしれないけれど、とにかくそんな問題にぶつかったときの感じ。問いがそれ以上、立てようもないような瞬間。


「問い」と言えば、僕のブログを一新した時にロゴを作った。見ての通りクエスチョンマークだ。このQuestionというのは、Quest-ionという語幹からなっていて、見ての通りquest(求める)とion(こと)からなっている。

問いは簡単に立てられるようで、そうでもない。ただ単に「なぜ…?」としても、その問い自体がなにを聞いているのか分からないこともあるし、「なぜ?」ということ自体が案外わからなかったりするから。

野矢茂樹さんという哲学者(日本人だと「さん」づけしちゃうね。)が『はじめて考えるときのように』という本でこんなことを書いていた。


『考えているとき、きみは何をしているんだろう。
「何をって、考えているんだよ」
うん、だからさ。そうだな。
「考える」っていうことがまだわからない子どものことを想像してみよう。そしてその子が大人に「よく考えなさい」とか言われたとする。だけどその子にはそれがどういうことなのかわからない。そこできみに質問する。
「考えるって、どうすること?」
きみならどう答える?』


考えることや、問うことってなんだろう?って僕もいつも思うよ。

一見、自明に見えることがぜんぜんそうじゃないんだ。HTMLをいじりながら、そんなことを僕は考えていた。けれどプログラマの人からすればすっごく簡単なことだったりするし、プログラマの人に聞いても「ぜんぜんわかんないよ?」と言われたりもする。

そうそう、この新しいロゴを作る時も「ベジェ曲線」というのを使ったけれど、その数式は全くわからなかったな。この世界はほんとにわからないことばかりだね。

けど、こうも思うんだ。

わからないことが、たくさんあるのはその分だけQuestできるってことだって。