「好き」ってなんなの。

もーそーとへりくつ もーそーとへりくつ

もーそーとへりくつ

もーそーとへりくつ



「好き」ってなんなの。




そう思ってこのあいだ辞書で調べてみたら「心がそれに向くこと」とあった。酷い話だ。それなら私が飼っている犬のシアンだって好きだし、シュークリームも大好きだ。だけど今の気持ちは違う。

なら、愛?

バカらしい。愛するなんてもっと意味がわからないし、生まれたてのハリネズミのように気持ち悪い。あのジーザスだって分かってたかどうか。古い歌にア・イ・シ・テ・ルなんてあったけれど嘘もここまでくると、

「聞いてる?」
「えっと、なんでしたっけ?」
「だって清原さんが、俺のこと呼んだんだよ。」
「あーえーっと、その、ちょっと聞いておきたいと思って。」
「なにを?」
「でも、その、聞かなくていいことになったというか。」
「と言うか?」
「と言うか…」

私より高いところから向けられる視線。鳥が小首をかしげるような表情と、黒い瞳に引きずり込まれそうになる。どきっとする。いや違う、ギョッとする。キルケゴールが絶望の深淵について語っていたけれど、それよりもよっぽど深い。死に至る病だ。

てか、私、完全にテンパってる。

「と、言うか、デカルトって知ってますか?」
「ごめん。今なんて?」
「ルネ・デカルト。」
「何の人?」
「近代の哲学者です。」
「ごめん、俺、哲学とか知らないんだ。ソクラテスが「人間は考える葦である」って言ったことくらいで。」
「それはちょっと違います。それを言ったのは数学者でもあったフランスの哲学者パスカルのパンセの一節です。」
「パンセの言葉なの?」
「えーっと。パンセっていうのは、フランス語で思索とか、思考とかって意味で…それを書いたのがパスカルです。でもこれは彼が、」

高校2年になりたての春。
私の初めての告白はこんな感じで、上手くいかないみたいです。
相手は橘さんという図書委員の先輩で、明るくて私にも声をかけてくれる人。どうして告白なんてバカなことをしようと思ったかと言うと、
いや、その理由がわからない。好きだからとは思うけど、ではその好きになった理由は?と聞かれたら上手く答えられない。

ねえ、普通はどう答えるの?

「あれ?姫と橘先輩じゃん。珍しい組み合わせだね?」

そう助け舟的に登場したのは井上優乃という、脱色した茶髪とつけまで大きくした瞳が良く似合う、私の数少ない友人。

「そうなんだよ。清原さんがちょっと用事があるからって呼ばれて。」
「ああ、前話してたアレね?」とチェシャ猫の笑みを浮かべる優乃。

え?私、話してた?好きだとか…そんなこと誰にも言ってない。でも、もしかして視線や行動でわかったりするのかな。優乃は私と違って人間関係上手だから。

「えーっとその、あれとはちょっと違うかも…その」
「アレでしょ。今年も橘先輩が図書委員をするかどうか、聞きたいって。」

斜め上だ。そうか、その手があったかと思うくらい斜め上だ。

「そ、そうなんだよ!でも、その迷惑かと思って。」
「橘先輩は去年も図書委員やってたし、意外と本を好きそうだからお願いしたいらしくて。この子、こう見えて人に物頼んだりするの苦手なの。もし良かったらやってくれません?」

ナイス優乃!ありがとう優乃!あとでアイスおごってあげる!

「忙しかったら、その、総会の時だけでもいいので。」と急いで私はつけたす。

少し考える素振りをみせる橘さん。それから私の方を見る。視線があって気まずいので、少しだけ俯いてしまう。ああ、きっと印象悪いだろうな、と思いつつやってしまう悪い癖。そう思って、もう一度視線を上げると目が合った。

「うん。そうだね。俺、今年はもう受験だし止そうかと思ってたんだけど、でも誘われて断る理由もないし、やらしてもらうよ。」

やった。思わず、心のなかでガッツポーズ!
本来の目的は果たせなかったけど、思わぬ大収穫だ!

「そんなに嬉しい?」と橘さん。

手に目をやれば、そこには握りこぶしが。実際にもガッツポーズしてるなんて、キモいと思われる…わーやっぱり話しかけるんじゃなかった。

「そんなに喜んでもらえることなの?去年は佐々木さんが殆どやってくれてたし、俺、全然、戦力にならないよ…でも、俺が本好きって知ってる人って実は少ないんだ。じゃ、そういうことで。ごめん、ちょっと急いでるからこれで。」

踵を返して帰りかけようとするところへ優乃が私に、けれど先輩にも聞こえるようにこう言ってくれた。

「姫、先輩のメアド知ってるの?せっかくなら聞いちゃえば?」

顔がまた火照るのを感じて、私はどぎまぎしてしまう。
メールアドレスなんて聞いたら、好意を持っていると思われそうで、いや、もっているんですけど、でも、恥ずかしい。

「ああ。そうだね。」

まるでなんでもないかのように答える先輩。
もし私だったらどうしてメアドを知りたがるのか、その真意を考えてしまう。私はいつでも悪い可能性を考えて、それからでないと行動できない。

私たちはメールアドレスを交換した。アドレスにはone-for-all…と書いてあって、少しだけ幻滅する。「みんなのため」のようなスローガンは好きになれない。だけど、きっとそれは橘さんが部活とかに入っているからに違いない。

橘さんは私からのメールを確認するとさっと携帯をしまって、すこしわざとらしくオッケーと笑って、走っていった。

「ねえ、姫、聞いてる?」と優乃。
「ごめん、聞いてなかった…」
「まだ顔、赤いよ。」
放課後になってもまだ、興奮、冷めやまぬ私です。
「じゃあ、アイス奢ってね。」と優乃。

彼女はアイスに目がない。アイスを一年中消費する珍しい人種だ。
珍しいと言えば、友達の少ない私の、数少ない友達を長年やってくれているというのも珍しい。でも、こんなこと言ったら怒られる。初対面のとき「私、友達少ないんだ…」って言ったら、普通に説教された。
「友達だと思っていてくれる人は清原さんの思っている以上に居るものだし、友達になりたいと思っている人だっているんだから、それが友達を失くすよ!」と言われて、びっくりした。
友達からそんなふうに率直に意見されたのは初めてだったから。高校ってこういうものかと思ったら、優乃が特別だったんだけど。まあそれは今、置いておこう。

「本気で告白するつもりだったの?」
と、トリプルのチョコミントアイスに齧りつきながら私のことを直視する、その目の驚きになぜか、胸が少しだけ痛くなって、少しだけ落ち込んでから答える。

「う、うん。付き合ってる人がいるか聞こうと思って。その返事次第だったかもしれないけど。ヘンかな?」
頭をブンブン振る優乃。

「ううん。そう言う意味じゃない!むしろ、見直した。姫って頭でっかちでそういうの苦手だと思ってたけど、やる時はやるんだと思ってさ。」
「頭でっかちって。」
「脳のシワがアインシュタイン並にしわくちゃで、利口ってことだよ。」
「優乃はさらっと酷いこと言うよね。今食べてるそのアイスだって誰のおごりだと思ってるの?」
「いやだな。そんなつもりじゃないよ。ってか、これはお礼だと言われた気がするけど?」
「そうだよ。優乃にしては、よくわかったね。」
「酷いのはどっちよ。」

こうして軽口を言い合えるのは、まるで親しい友人のようで嬉しい。
けど私はただ、人の悪口をその人の前で言ってみて、その人との信頼関係をはかっているのだけなのかもしれない。

二人で苦笑してから、私は話を元に戻す。

「上手くいかなかった、けどね。」
「いいじゃん。結果オーライだよ!」

私はいつも物事の暗い面ばかり気になってしまって、それを照らしている明るい太陽は眩しくて見られない。くらべて優乃はいつでも暖かい場所をびっくりするくらい上手に見つけるネコみたいで、かわいい。

「うん。ありがと。その…」
「いや、姫が先輩と話してるは何回か見て知ってたから、てっきり図書委員に勧誘したいけど、できなくて意を決したんだと思って割り込んじゃったから、私もゴメン! 知ってたら邪魔しなかったんだけど。」

私の前で手を大袈裟に合わせてみせる。これは優乃がよくやるポーズ。

「邪魔なんて。巨大タンカー並みの助け舟だったよ!」
「それは、もしや、私の体型のことを言ってたりする?」
「そんなことないよ。むしろ私のほうが…」

と言ってからまた心が少し痛む。私、私っていつも私の事ばかりで優乃をうんざりさせてるんじゃないかって、不安になる。

「ムッ。確かに。」
と言いながら私のお腹の肉を摘む優乃。止めてよ!と言って手を軽く叩いたけど、ホントはすごい嬉しい。気が利く人って、こういう風にさっと人を包み込める人のことなんだろうな。なのに私はそんな優乃に甘えてばかりだ。

「でさ、本題なんだけど、先輩のどこがいいの?」
「え??どこって、雰囲気とか?」
「あともすふぃあ?」
「そう。その雰囲気。」
「他には?」
「所作とか?」
「ショサって、動きのこと?」
「う、うん。」
「他には?」
「声?」
「ああ、声ね。うん。」
「う、うん。」

ヘンかな。私、ヘン?

「ごめん。私の質問が悪かったかな。もう少し具体的にはないの?委員会のあと、雨の日に一緒に帰ったとか、お茶して話が弾んだとか。聞きたいな。」
「普通に図書委員で一緒だったってだけ。一年生のとき、よく声をかけてくれてお喋りもよくした。」

だけど、これと言って特別なことはかった。優しそうだなとは思った。
ほんとうに、それくらいで、でもそれって、

「私、もしかして」
「もしかして、好きじゃないのかも?って言おうとした?」
「う、うん。よくわかったね。どうして?」
「別に。なんとなく姫らしいなと思って。」
「どのへんが?」
「悩むところ。すごく悩むところ。姫はいつもすごく論理的で、感心するよ。でもそれって、人一倍悩んでるからでしょ。私は根本的に悩めないんだよね。変な言い方だけど。悩むって難しいんだ。」
「悩むって難しいの?」
「そりゃー難しいね。その姿勢を維持してるだけで、空気椅子もんだね。」
「く、空気椅子?」
「うん。床汚れてるから立っていようか、それともそこに座っちゃおうか考えるとするね。でも普通の人は立ちながら考えたり、座ってから汚いことに気がつくわけ。でも、姫はそのどっちつかずで、空気椅子してる感じ。立っていていいのかな?って考えちゃうから。あれだ、マゾなんだよ。」
「え、そうなの?」
「ごめん、嘘、嘘。姫が真面目な顔してるから少しからかったんだよ。もっと肩の力を抜いてみな。だってみんな恋に落ちるんだもん。って外国のミュージシャンも歌っているよ。」
「なにその適当。」
「いいじゃん。もう落ちちゃったんだから。」
「改めてそう言われると、落ちるって表現はすごく怖いね。」
「怖い人には怖いのかもね。」

ときどき、優乃はとても難しいことを言う。

本ばかり読んでいる私なんかより、遥かに多くのことを知っている。優乃。

「優乃ってすごいね。」
「なに急に?褒めてもなんもでないよ。」

でなくていいよ。って言いながらギュッてしたいなと思う。でもそれはできない。スキンシップは自分が一瞬だけ裸になったような気がするから。
他の女子みたく何も考えないでハグとかしてみたいな。
なんてことを思いながら話しているうちに、あっという間に昼の暖かな日差しは陰り、外は暗くなっていた。
私はいつものように優乃の後ろ姿を見送る。彼女はバックから大きなショッキングピンク色のヘッドホンを取り出して頭につけ、こちらを振り向いたりはしない。別れ際はいつもそう。この時期は昼間と夜の温度の差があって苦手だ。春は人を安心させて、それから裏切るペテン師のよう。
少し風が冷たい。