「希望を見出す」とは狂気だ。論理的な整合性から導き出された確率を狂人のように笑うことだ。

希望の自省録 希望の自省録

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「希望を見出す」とは狂気だ。論理的な整合性から導き出された確率を狂人のように笑うことだ。

「狂った世界における狂人は正常だ」というのは自己欺瞞だろう。しかし、狂人であることで不都合なのは世界なのか、それとも君なのか。

世界は無秩序だと強く言い聞かせよ。君がどんなに努力をしても泣いても喚いてもこの混乱を超え出ることなどない。すべては世界の混乱にとりこまれてしまうのだから。

たばこがただ燃えるように、君もただ燃えているのだ。そこに理由や思想や哲学などいらない。ただそうあるというだけだ。

毎日のように吐き気に襲われる。苦しい。

学生と社会人の両立など不可能かもしれないと思い始めると恐怖でなにもできなくなる。どちらか一つに絞るべきなのだろうかとしばしば思う。なにを基準にすればよいのか悩んだあげく、基準のなさに呆然とする。

死にたい。毎日が苦痛だ。つまりそう言えるくらいには幸福なのだろう。

一片の救いもない世界を想像せよ。それは君がいま生きている世界だったか?もしほんとうにそうだと言うならとっとと死んでしまえばいい。救いなどそこらじゅうにある。だから苦しいのではないか?

「世界」は君の想像力を凌ぐ。簡単なことだ。君の描く世界などたかが知れているというのに、君はまだそれにしがみつこうとするのか。愚かしい。

未来のことで思い悩むのは、人間に生まれた以上は仕方のないことかもしれない。

なぜ痛みや恐怖は行動を制約するのか。考えてみれば奇妙極まりないことなのに。

ダメになるのではないか?馬鹿らしい。君はもはやダメなのだ。君の人生がどこか一瞬でも輝いていたことなどあるというのか?永遠に地べたを這いつくばれ。君には君にお似合いの道が用意されいている。

戦う時は恐怖を羅針盤にせよ。だからといって破滅への道を選んではいけない。破滅とは恐怖に屈した最も恥ずべき姿だからだ。

「恐怖から目をそらすな」と人は言う。なら聞き返してやるといい。なぜ恐怖から目をそらしてはいけないのか?なぜ逃避してはいけないのか?戦いたいものだけが戦えばよい。逃げたいものは逃げればよい。

弱さを美徳だと思っているうちは、誰一人救えない。(人を救う?笑わせるな。)

身をもってして敗北せよ。敗北を想像して恐れてはならない。敗北を味わい尽くし、屈辱を甘受し、歓びに打ち震えるなら君は敗北の意味を知るだろう。

喜べ。その選択に関してのみ自由なのだから。