記憶3

不活性期間 不活性期間

不活性期間

不活性期間


記憶3


高専時代の友人が村上隆の展覧会チケットを持っているというので、一緒に見てきた。彼とゆっくりお喋りするのは数年ぶりだったが、高専のときと同じように、もしくはそれ以上に楽しく話ができた。

彼は僕にマリリンマンソンとスーパーカーを教えてくれ、バンドまで組んでくれた貴重な友人である。僕はいつも友人が少ないと感じるが、ベース不在の変なバンドだったとはいえ、キーボードとギターとドラムは集まったのだし、そう考えると友人に恵まれている部類なのかもしれない。

もしくは僕の友人になってくれる人種がかなり奇特なのかもしれない。(ざっと頭に浮かぶ人々に想いを馳せるに、こちらの方が正しい気がする)いずれにしても、彼が僕の人生の一部を形成した人物の一人であることは確かだった。

そんな彼は僕よりも遥かにギターが上手く、歌もうまかったし、その気になれば作曲もできたのではないかと思うのだが、今は普通のサラリーマンだと言っていた。

思い起こせば、彼が僕に村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』教えてくれたのだった。

僕はスーパーカーとマンソンのことを話した。どちらも7〜8年に渡って、聴き続けているバンドだったからだ。彼はすこし驚いたような笑ったような表情をして「俺はもうノスタルジー以外で聴けない」と言った。

7年前とはそんなに昔のことなのだろうか。僕にとってマンソンの驚きはつい昨日のことであり、スーパーカーは明日を照らしてくれる存在だから、週に一回は聴いている。

僕にとって音楽は現実の隣に掘られたビバークのための雪洞(せつどう)のようなものであり、それを更新したり快適にする暇はない。吹雪がくるたびに身の回りの音楽を抱えて入って、リスのように貯めておくのだ。

ここに貯められたものはどれも現在に属し続けるのであり、それが過去に流されることはほとんどない。


記憶2

僕はマンソンが聴けなくなったら自殺しようと決めていた。高専の1年か2年の時だ。

僕の中学時代が太宰によって形成されたとするなら、高専時代はマンソンによって彩られていた。決して英語ができる方ではなかったから、マンソンの歌詞は半分も理解していなかったが、驚くほど彼に共感した。

孤独と怒り。彼の特徴を一言で表するならそうなるだろう。

それまで小椋佳や谷村新司、サイモン&ガーファンクルなんかを聴いていた僕にとって彼のアルバム『antichrist superstar』は破格だった。耳障りなシャウトと電動のこぎりのようなギター、爆発音のようなドラム。

おぞましさのなかに快感があった。

DVDでは保守的なキリスト教徒から批判される様子と、それをコケにするマンソン、ライブ会場で観客がセックスをしていた。

だが彼が孤独と不安に苛まれているのは手に取るようにわかったし、それが自分と重なった。だがこのセンチメンタルな熱狂がいつか終わるだろうことがただ怖かった。この感情が失われたら脂ぎった豚のような人間になる気がしたのだ。

いらい僕はマンソンを指針とし、マンソンを聴けなくなったら自殺すると決めたのだ。

そのときの美術の先生の家に飲みに行ったことがある。高専にいた時なのか、卒業後なのかは定かではない。なんとなく嬉しかったのを覚えている。彼は美術家なのか教員なのか曖昧な男性だった。

僕のことをしきりと褒めてくれたように思うのだが、僕の心は褒められるほど冷たくなった。そのとき、彼は学生のころ描いていた絵を見せてくれた。確かマンションの絵と空が電線で句切られている灰色味の強い油絵だった。

その時の話を彼はしてくれた。彼もまた青年期特有の感性が失われないかと心配になったらしいのだが、今でもそれは失われていないという話だったように思う。

それを聞いて僕は安心したのだった。もうしばらく生きていける。太宰が自殺したのが39歳だからそれくらいまでは生きられるように思えた。

記憶1

太宰が僕の現実に別次元を開いてくれたのは中学の頃だった。この時の僕はほんとうに孤独だった。同級生を見下し、嫌悪しているにも関わらず、学校に居場所を求めたからだ。

案の定、クラスの人間の掃き溜めのようなグループに入っていた。その事実に耐えられず自分のプライドに押しつぶされそうだった。

そんなときに国語の教師から太宰を教えられたのだった。太宰は思春期の作家だと誰かが書いていたが僕もそれにもれず、彼の巧みな文体に酔いしれ、僕だけが太宰を理解できると信じて疑わなかった。

教師は僕に滅び行くことの美学を教えたが、今から考えると彼は教師という役に同化しきっており弛緩していた。少し考えれば分かることだが、小説を教えるという仕事についている時点で彼が愚鈍なのは明らかだった。

それでも僕の超自我としての、つまり制度としての父は彼であった。実父にはロゴスが欠如していたからだ。彼は僕にロゴスを叩き込んだ。彼のお陰で僕は文章が好きになり、今はそれで憎悪を綴っているのだからフロイトは侮れない。

それでも太宰が「この世界には、現実と異なった色豊かな位相があること」を告げてくれた最初の人物であることには変わりない。

太宰に遭遇して以来、僕の長い長い思春期が始まった。それははじめから寛解しているような思春期だった。急性反応がなかった代わりに僕の生を深い深い霧に包んでしまったのだ。

このところその霧がより鮮明に見える。深さが色彩を帯び、湿気が身体に粘りつく。あらゆる変化はそれに足止めされている。ただ大地を歩く身体だけが動けるのだ。

僕はこの霧に怯えているが、晴れることもまた嫌悪している。