DIC川村記念美術館へ 友人と佐倉で待ち合わせて、駅前で焼きたてのパンを買い込んでからバスへと滑りこむ。気分はピクニックだ。

美術とおしゃべり 美術とおしゃべり

美術とおしゃべり

美術とおしゃべり


DIC川村記念美術館へ

友人と佐倉で待ち合わせて、駅前で焼きたてのパンを買い込んでからバスへと滑りこむ。気分はピクニックだ。


バスは郊外でよく見る幅広でまっすぐな道をすぎると、田舎特有の細く曲がりくねった道へと入り込んだ。はじめて乗った時はいったいぜんたい、どんなところへ連れて行かれてしまうのだろうと狼狽したのを鮮やかに思い出す。

バスを待っているときから、そしてバスに乗った後も僕らの会話が途切れることはなかったけど、なにを話したのかさっぱり思い出せない。まぁいいや。そんなに深刻な話をしなかった証拠なのだから。

僕らは美術館に入る前に、付属の公園の雑木林のなかでパンを食べることにした。

とちゅう、気味の悪い水鳥をながめている外人さんを眺めつつ、蓮の咲いている池を通り過ぎる。季節は6月だったから、道にはあじさいが咲いていて、少し汗ばむ陽気だったが、それでもよく手入れのされた林であったから、時おり爽やかな風が僕らの顔をなぜていった。

それからヘンリー・ムーアの彫刻がある芝生公園を通り過ぎ、茶色いきのこが繁殖している奇妙な芝生を見て、僕らはここに撒かれたであろう除草剤について話し合った。

そんなことはともかく、展示の話にはやくいこう。

まず出迎えてくれるのがモダニズムアートの先駆者、フランク・ステラのガラクタを寄せ集めたような立体作品「リュネヴィル」である。
彼は最初、ブラックペインティングと呼ばれる黒い縞模様の抽象絵画を描いて一世を風靡したのだが、途中から変形キャンバスとよばれる矩形ではないキャンバスを使うようになり、それから半立体へと進む、作風の変遷が面白い作家である。

僕らは外より涼しい館内を、一時間ほどかけて見て回った。お互いに気心が知れているし、ここも初見ではないので慣れたものだ。
なかでもアド・ラインハートの「抽象絵画」(という作品名である)は改めて僕らの興味をひいた。黒の色の差異だけで作品がもつという事実、その技術的な高さ、それから少し変わった額縁などについて話し合った。

それからなんといってもロスコ・ルームの壮大さ。
床は木張りでできていてコンクリートの床に比べるとかすかに柔らかい足ざわりがし、暗く落とされた照明のなかに現れる赤い絵画。いま目を閉じてもあの色が浮かぶようだ。

友人がいぜん来た時は、そこまで魅力を感じなかったそうなのだが、今回は違ったと言っていた。理由を聞いたら「自分が変わったから」だと教えてくれたが、わかるようでわからない答えである。この友人はいつもこんな感じなのだ。

アメリカの現代アーティスト、デイヴィッド・ホックニーは「よい絵とは、人々がその前で多くを語り合うことができる絵だ。」と言っているが、もしそうだとすれば語り合える友人と絵を見にいけば、それがよい絵になるのかもしれない。

これはレトリックで言ったのではない。

芸術の価値とは――というよりも価値という考え方それ自体――誰かと誰かの間において生じるものだからである。芸術の美的価値は測りえないかのように誤解されがちだが、真に測りえないのはある人の美的体験であって、それを生じさせる「物=作品」が交換体系による価値付けを免れることはない。

そうだとすれば、作品について語り合うとは作品をあらためて価値づけることなのかもしれない。

川村記念美術館はそのことを理解し、実践している稀有な美術館である。それが如実にあらわれているのが「対話型ギャラリートーク」である。
ガイドの方の話によれば、ニューヨークMOMAのキュレーターであるアメリア・アレナス(対話型鑑賞の先駆けを作ったとされる)という人物から川村記念美術館と、茨城の水戸芸術館、そして愛知の豊田市美術館は直接に教えを受けたのだという。

それが開催されるのがその日(第三土曜日)だったのである。

僕と友人をあわせて、7人くらいがエントランスに集まり、ガイドさんから座布団を借りて展示室へ向かった。作品の前に座布団を敷いてみんなで眺めるということらしい。

最初の作品はシャガールの「ダビデ王の夢」であった。一人一人が陽気なガイドさんに当てられ、もぞもぞと答える。これは人生だとか、ある一日だとか、お祭りや結婚式であるといった具合である。

結論からすればそれらは作者の意図からは遠い解釈ではあったが、ほんらい作品とはそのように自由に見て良い、というよりも容赦なくそのように見られてしまう受動的な対象であるはずである。

次に橋本関雪の「琵琶湖」を観た。参加者はキャプションを読ませてもらえないし、ガイドさんも説明してくれないので、みな思い思いのことを自由に語り始めた。

この変化は非常に興味深いものだった。ガイドさんはなにを言っても「おもしろい」「それはこういうことですか?」といったふうに、まるでカウンセラーと話しているように受け止めてくれるので、みな“正しい解釈”の幻想から距離をとって、自分にとって「そう思われる」作品について自由に語り合った。

もちろん、この立場に対する批判は充分にありうる。自らの美的体験(個人的解釈)を語ることと、それがどような価値をもつのか、という点は分けて考えられるからである。つまりその作品がなぜ高価であり、美術館で飾られ、ある程度の人々から一定の賞賛を受けるのか、それらについて知ることを欠いてしまっては、自らの美的体験の位置がいわば宙に浮いてしまうからである。

このように作品の背景を知ることを、僕は勝手に「距離の確認」と呼んでいるのだが、自分が対象との関係において、どのような位置にいるのかを確認する作業だからだ。例えば僕にとってまったく無価値に思える作品が「なぜか高価で、評価されている」とするなら、このなぜ?になんらかの応えを自分なりに見出すことが、美術作品の理解であると信じているからである。

みな活発に語り合ったのを確認したガイドさんは最後に難問をぶつけた。それはステラの作品だった。(作品名を忘れてしまった…)具体的な対象はいっさい表象されていないし、タイトルも意味不明、そもそも絵なのか彫刻なのかもわからない。ガイドさんも、この作品は初めてだと言っていた。

それは難航した。みな、それが何か?を考えたからである。ここに個人的解釈の限界があるように思う。つまり、絵の内容が表現形式としっかり結びついてしまっている場合、解釈が宙吊りにされてしまうからである。それは人であるとか、悲しそうであるといった共通の認識がそもそも成立しないのだ。

とはいえ、ステラの作品を座布団にすわって下から眺めるのは、単純に興奮した。

ロスコ・ルームで感じたような「崇高」にも似た体験であったからだ。色は散乱し、形態はハーモニーを奏でているようだが、その間隙にはアルミの削りだされた断面が挿入されている。視覚が戸惑い、誘惑され、動き続ける。まるで思考など介入する余地がないような戯れ。

たしかにそれは、誰かと話すための観察であったかもしれない。

しかしその観察や洞察がその目的を超え出てしまう瞬間。作品との交流が生まれるのだ。もちろん一人で誰とも語らずに、作品を見ることはできるのだが、それは作品の個人的な体験であって、その価値を知ることにはならない。繰り返しになるが、価値は誰かと共有されてこそ価値たりうるからである。

最後にアメリア・アレナスさんの言葉を引いておこう。

「一般的な考えに反するかもしれないが、作品の意味は作者の責任外の問題である。さらに、その作品を制作するにあたって影響を与えたと思われる私的、あるいは歴史的事実関係をいくら調べあげても、それは作品の意味ではない。肉体に精神が宿るように、作品のなかに自ずと意味が存在するというのでもない。それよりも意味は、人々が作品を見るという行為を通じて作品とおこなうコミュニケーションによって、作品に付加されるものなのである。」

アメリア・アレナス/福のり子訳 『なぜこれがアートなの?』淡交社1998年 p41

PS.友人のHさん一緒に行ってくれてありがとう。楽しかったです。