雲のたなびきを眺めながら想う。けれど僕はなにかを想うわけではない。ただ眺めているのだ。かといって無心というわけでもない。

雲の細くたなびきたる 雲の細くたなびきたる

雲の細くたなびきたる

雲の細くたなびきたる


雲のたなびきを眺めながら想う。けれど僕はなにかを想うわけではない。ただ眺めているのだ。かといって無心というわけでもない。

思考が風に運ばれるように想う。思考はかならずしも対象をもっているのではなく、風がそよぐように、海の波頭が上下するように、花びらが舞い落ちるように動くのだ。

強制された思考――問題を解決したり、誰かと議論したりする思考――は硬い鉄のレールの上を走るように、論理という枠組みによって分岐し、軋み、騒音を立てながら前に進む。前進。思考がこの愚かな道を突き進む限り思考は思考たりえない。結論、結末、終わり、そのような目的のために従属している思考など思考とは言えない。

思考は散逸する。大海に落とされた一滴のインクのように拡散し、もはやその形を誰も捉えられず、宇宙の膨張のままに際限なく広がっていく。雲のたなびく様子に似ている。そこに精神は介在しないし、意志も介在しない。理性などはもってのほかだ。

言葉には言葉の法則が確かに存在する。主語があって述語があって文法がある。けれど思考にそのような規則は存在しない。おおくの人が存在すると思っているが「考え」に順序はないし、形式もない。茫漠たる湖、豪雨、暗がり。思考を形容するならそのほうが遥かに相応しいだろう。

明るみで生きる人々。したり顔で語る言葉などもはや聞き飽きた。言葉など破棄してしまいたいとさえ想う。透き通ったなにか、水のように流れ行く、とらえられない動き。理性などうんざりだ。確固たるものにつばを吐いて葬りさってしまいたい。

夢を語るなら夢見るように、曖昧で断片的で、唐突で、奇妙でそして恐怖を伴うように。情熱なんてもう嫌なんだ。明るみに生きている人々、あなたがたには夜が見えないのでしょう。見えるフリなんてもうしなくていいんですよ。誰にだって見えはしないのだから。

反理性などという固い言葉は好ましくない。僕はなにかに対立しているわけではないのです。ただこの二つの眼に映らないものを眺めていたいのです。