ぼくはわからない。

ぼくはわからない ぼくはわからない

ぼくはわからない

ぼくはわからない


ぼくはわからない。


10月の入院から先月の受験まで、何もかもが白昼夢のようでまだ身体が現行の自分に慣れていない。僕はいつも僕より先に行ってしまうのだが、それにしても今回の僕は丘ひとつ越えてしまったみたいで、追いかけるのに苦労している。

僕を追いかける作業は苦痛だが、「自分がわかる」に比べたらマシな気がする。まして「本来の自分」なんて見つけてしまったら手遅れだ。

たえず“見えなさ”のようなものが僕の周りにあって、僕は僕をよく見失う。

受験の時に「なぜあなたは研究対象を変えたのですか?」と言われてとても困った。僕はやけになって「感情だと思います」と答えた気がする。たとえば僕は今日の朝、パンを食べたけどその理由を聞かれても困る。

そこになんらかの因果関係や合理的な説明をつけようとすれば、できないことはない。けれど説明は事後的な産物でしかない。

これらの説明をどれも「嘘」だと括ってしまうのは少し暴力的かもしれないけれど、僕はできるだけ嘘をつきたくなかった。

だから小論文も「哲学は役に立たない」ということについて論じよ。みたいのだったので、前に書いた「考える。」を起承転結の構成にして出した。

論文ののっけから自分(私や僕)が登場するのは小論のテクニックからすればタブーである。なぜなら論文とは客観的に書かれるべきとされているからだ。

けれど、僕が問題にしたいのはその書き手の存在であり、まさに書いているそのことだったから、僕はそれでも控えめに
友人から「大学院に行ってなにをするの?」と聞かれ私は困りつつ「哲学」と答えると、彼女は「哲学ってなんの役に立つの?」と容赦なかった。私が「哲学は役に立たないものなんだ」と説明すると、友人が不満そうな顔をしたので、急いで教科書的な哲学者の偉業について話すと、納得してくれた。けれど私の心中にはもやもやとしたものが残った。
のようなものを書いた気がする。

僕にとって大切なのはこの「もやもや」としたなにかであって、明晰な形あるなにかではない。この僕の“蠢き”が先にあって、それを僕が追いかける。特に「入院からの入院」はこの構造そのものだった。

そうなんです。受験、合格したらしいんです。

僕はてっきり落ちたと思って、研究生用の案内書を待っていたのだけど届いたのは合格通知で頭のなかは真っ白。嬉しいとか今でもあまり実感ないし入院後、担当して下さる先生にも「事務的な手続きミスではないか?」とメールで書いてしまった。

それに加えておかしなバイトが舞い込んできて、こちらも狼狽している。その会社の人から直接、声をかけて頂き働くことになったからだ。僕はなにか社会的なスキルを持っているわけではないし、英語だってできないし、頭も悪い。
なぜ声をかけてくれたのかはわからないけど、グレンラガンのシモンの気持ちでやっている。

ぼくはほんとうによくわからない。
  1. 「役に立つ」ってなんだろうね

    返信削除
    返信
    1. いつもありがとう!わかんないなぁ。なにか、おおきなルールに沿っているかどうかという感じがする。ルールが変われば「役に立つ」も変わるんじゃないかな。ルール変えたいね。

      削除
  2. それ逆説的に考えると面白いね。今の世界ですごく役に立っている物が、まったく役に立たない世界感がある。道に落ちてるアスファルトの破片がすごく役にたつ社会があったとしたら、それはどんな社会なんだろう。

    返信削除
    返信
    1. そういう無価値と価値が変転する可能性みたいなのに常に意識的でいたいね。
      加えて言えば、ルールを変えるのは必ずしも規則側ではなく、プレイヤーが少しずつ変えていくものなのかもしれないなって思うよ。

      削除