ぜひともここに書き残しておきたい「事件」に出会った。

2016/05/14 2016/05/14

2016/05/14

2016/05/14


ぜひともここに書き残しておきたい「事件」に出会った。
けれどネットに公開されたブログには少し書きにくいことなので、断片的に残しておこう。

僕と友人はレストランである人物と話していた。僕らは彼についてはそれほど知らなかったのだが、なんとなく知っていることは彼はふつうの人のように言葉がでない人ということだ。

それよりも身体的な反応、唸り声や肉体的な硬直でコミュニケーションをするタイプであることは会った人間であれば数分とかからずに理解するだろう。

僕らはどうしても彼と話さないわけには行かない理由があって、気は進まなかったのだが話し始めた。すると彼は唸ったり、身体を不自然に動かし始めた。途中から僕らの言葉には反応せず、まわりの環境をみたり、椅子に寝そべったりした。

僕らとしても気まずくて、どう話を進めればいいのかわからず、外国の人に話しかけるみたいに手探りでいた。けれど彼の動きは早くなり、筋肉の硬直、まるで痙攣のような引きつった表情で僕を睨みつけてきた。

僕らは彼がなにかの苦痛に耐えていることはわかったし、もしかしたら怒っているのかもしれないと思った。けれど理由を聞いても返ってくるのは、身体の痙攣ばかりだった。

しかたなく、僕らは話し合うことをやめて、外に出ようと提案をしたのが運のつきだった。彼はレストランのトイレに立てこもってしまったのだ。

それが生理的な欲求であるのか、それとも精神的な欲求であるのかもわからない。

30分たっても彼は出てこなかった。その間、トイレのそばで僕らは待機していたのだけど、中からは壁を叩いたりドアを叩いたりする音だけが聞こえてきた。それが1時間ほど続き、僕らはトイレの外から何度か声をかけたがなにも返ってこない。

2時間がたち、いよいよ店員も怒った様子で「ほかのお客様がいるので早く出てきてください」と怒鳴りつけた。それが逆効果であることは確かだったのだが、利害関係のない人間のほうがいいかもしれないと祈りにも似た気分でいたのだがダメだった。

それからまた時間が経ち、僕らはしびれを切らしてトイレによじ登って上から声をかけた。僕がなにか出来ることはあるか?と聞くと、バックが必要だというのでバックを渡して少し待って、それでもダメで僕はまた声をかけた。

友人はすっかり参ってしまっていて、僕もその気に当てられて冷静ではなかった。

ひとつだけ救いだったのは僕が精神科に入院していたということだった。パニックは自分が思う以上に人に伝染する。そんなときは大きく深呼吸して、彼は自分ではないと自分に言い聞かせるのが有効だ。

自我の境界は自分が思っているよりも遥かに脆い。だから言葉で防御するしかないのだ。それでも出てこないので、僕が声をかけると今度はすっと出てきてくれた。

なぜ出てきてくれたのか、僕にはわからなかったし、彼は出て一言も発しないで駅に消えていった。

そして僕らは残された。

友人はすっかりうなだれて、唇の色もわるく、一回り痩せたようだった。誰だってそうなる。僕がたまたま慣れていたから良かったようなものの、この手のディスコミニケーションで疲労しない人間はいない。

僕と彼との間にはある種の根源的なつながりが生まれるからだ。それは僕らが日常的に使用している言語や自我を通じたコミュニケーションではない。内蔵にぐさりと突き刺さるようなたぐいの、もしくは内蔵を引き出してしまうような交流。

乱交でもしたような嫌な後味と、身体的・精神的徒労感と、虚無感と罪悪感がいっぺんに押し寄せてくる。

これを書いている今でも僕は嫌なものを感じる。なぜなのかは分からないが、それが他者に関わっていることはわかる。他なるものは僕らを誘惑し、混乱させ、疲労させ、外傷を残して立ち去る。

僕らがそれが他なる者だったと認識できるのは、その嵐が過ぎ去ってからだ。僕はまだ嵐の中にいる。ソラナックスを飲もうが、デバスやベルソムラを飲もうが消えない痛み。今日の彼は僕の中で生き続け、うまく行けば僕がその光景を力に変換し、もしくは未消化のまま残るたぐいの記憶。

今の僕は友人を心配している。彼はとても心優しく、繊細で僕にはとうてい持ち得ないような他人への想いやりに満ちた友人だからだ。会ったら誰でも彼のことがいっぺに好きになるような人間だ。明日にでも連絡してみよう。

夜になって、僕とその友人は食事をした。顔色はだいぶ良くなっていたが僕は心配だった。けれど彼はとても面白い話をしてくれたのでそれだけ書き留めて、寝よう。

彼は毎日、自分の歯が抜ける夢を見るという。それがもう2年ほど続いていると言っていた。二年間も同じ夢をみると現実なのか夢なのかわからなくなるそうだ。そうしているうちに、今度は逆に歯が抜けると夢なのだと認識するようになるらしい。

全ての歯がボロボロと抜け落ち、口のなかでその歯の感触があるという。朝起きると、また歯が抜けたか。と思うらしい。まるで僕が朝おきてトイレに行くようなものなのだろう。その異常な日常を聞いて僕は猿のように笑ってしまった。

まるで村上春樹の世界にでも入ってしまったような、マジックリアリスムの文学の世界のようだった。

きっと歯が抜ける夢を毎日見る人間がいるように、今日の出来事は考えるべきだろうし、それが正しいのだろう。今晩はあまり夢見がよくなさそうだ。