1時に寝て13時に起きた。

2016/05/15 2016/05/15

2016/05/15

2016/05/15


1時に寝て13時に起きた。

まるで睡眠薬が身体に残っているかのように、全身が動かなかった。ひどい倦怠感と目眩に襲われる、寝ている間に仄暗い洞窟の中を流れる一筋の川に、小型のボートに縛り付けられて流されたような気分だった。

外は明るく、空は青いようだった。曇りガラスから太陽が部屋に差し込んでいた。

今日は休日だ。とはいえ昨日あんなことがあったものだから、今日中にしないと行けない作業が残っているので布団から出るのが憂鬱だった。

ひどく憂鬱だった。

宇宙空間で空気を求める人類のように、僕は覚束ない足取りでベランダに出てたて続けにタバコを吸った。それからアイスを二つほど食べて、水を飲んでなんとなく自分の座標を確認できたようだった。

カルマは無意識の壁
イデアの上昇と下降
ロゴスは美意識の奴隷
憐れな妄想と野望

先ほどかけた桑田佳祐が歌っている。じつに訳の分からない歌詞だが、友人に教わって以来これが好きで聞いている。

「質量とエネルギーの等価性」

部屋に戻って僕はもう一度ベッドに身体を放り出した。可能ならそのまま肉体をベッドのうえにシミのように残して、この部屋を出てしまいたかった。

憂鬱の中に歌の歌詞がとぎれとぎれに流れこんでくる。

憂鬱だ。

なぜこんなにも憂鬱なのだろうと思ったが答えはわからなかった。単純な話、疲れているのだろう。

それでもベッドのそばにあった『バタイユ伝』の年表をパラパラと眺める。

「1923年、26歳。彼の道徳観はドストエフスキーとニーチェの間で揺れ動く。メトロ―に「すべては許されている」と語り、彼に「陽気な冷笑家」であれと言うが、自分ではあえてそうならなかった。」

今の僕の年齢だ。彼は25歳のときにニーチェに触れ、26歳のときにフロイトを発見したという。こう考えると彼は思想家としては遅咲きなのかもしれない。

それからバタイユの口調が気になりyoutubeで彼の映像を眺める。

1958年、彼が61歳の時のインタビューだった。この時彼はすでに頚部動脈硬化症に冒されており、体調は優れなかったようだ。ひどく猫背でとても60代の男性のようには見えない。かなりくぼんだ眼窩と当時のフィルムのせいで左目は影になって見えない。

レンブラント照明のようだ。

右目だけが話しながら相手の表情を確認するように動き、時として右上と左下を確認する。僕がもう少しフランス語に精通していれば彼が、未来と過去をどちらの方向に位置づけているかわかるのに。

口調は驚くほど穏やかだった。病人のそれでもなければ、猫なで声でもない。男性にしては少し高い声が流れるように発せられ、否応なく耳を傾けてしまうような雄弁だった。

こんなふうに話しかけれたら娼婦でも聖女でも彼の言葉に耳を貸し、彼の大胆な行動に魅了されただろう。

現実は単に人の心が映しだした
でっち上げた影絵だ
デカルトもロックも俺がなんにも
知らねぇと思ってFuck Up!

歌が流れ込んでくる。僕はそのまままたベッドに潜り込んだ。なにもやる気がしない。ブログを書こうとも思ったが机までの1メートルが遠い。

とはいえもうこれ以上寝るわけにも行かない。銀行にも行かなきゃいけなかったしいつまでもこうしているわけにもいかない。

陽は落ち始めていて、時計はすでに16時をさしている。僕は冷凍庫から冷凍ハンバークを出してボイルして食べた。