U・M・R!U・M・R! UMA ぢゃないよ う・ま・る! U・M・R!U・M・R! UMA ぢゃないよ う・ま・る! 唐突にごめんなさい。 これは「干物妹!うまるちゃん」というアニメのOPです。

ぐーたら! ぐーたら!

ぐーたら!

ぐーたら!


U・M・R!U・M・R! UMA ぢゃないよ う・ま・る!
U・M・R!U・M・R! UMA ぢゃないよ う・ま・る!

唐突にごめんなさい。
これは「干物妹!うまるちゃん」というアニメのOPです。


このアニメを見てて、思ったんですけど、なんで人は働かないといけないんでしょうね。聖書によれば、それは原罪ということで、神の怒りをかったからと説明されてます。

「それが罪だろうが罰だろうが知ったことじゃない。食うために働くんだよ。」という意見が聞こえてくるようです。ほんとそのとおりで、労働は生きるためにするものですよね。

作物を育てるにしても、狩りをするにしても、食べるためです。つまり生きるために労働するわけ。

でも世の中には土地とか持ってて、一生働かなくても生きていられる人もいるわけですよね。これってなんとなく不思議じゃないですか?

この働かなくてすむ人たちを昔は貴族とか呼んでました。領主とか言うともっと分かりやすいですね。

僕は平安時代が好きなんだけど、あの時代の文献はすべて貴族の書いたものです。もしくは中国の調査資料です。枕草子にしても源氏物語にしても貴族文化なんですね。

村上春樹の小説で、古代ギリシアで哲学者が生きていけたのは奴隷社会だったからだ。なんて書いてありましたけど、平安文化も同じです。平民は見下され、搾取されてきてたわけです。

でも現代になって、総中流化社会なんていうけど、ある程度は余暇がとれるブルジョワが誕生したわけです。みんながなんとなく有閑階級になったわけです。だから僕なんかもこうやってブログが書ける。

一昔前だったらすごい貴重な紙に貴重な墨をすって書いたわけです。清少納言は定子さまから紙を頂いて、あのエッセイを書き上げたわけですけど、そんなことが現代ではこんなに簡単にできちゃうし、ネットで公開できちゃう。

その代わり、完全な貴族という階級はなくなってしまった。ほとんどの人が労働してるわけです。

この労働という考え方はどこから来たのでしょう。人類が誕生してから?

『石器時代の経済学』という本に面白いことが書いてありました。石器時代は今よりもずっと労働が少なかったそうなんです。

現代に生きるブッシュマンから推測するに、 食べるためだけに狩猟採集をしていたので、成人の労働時間は4,5時間だそうです。

今の日本の一般的労働時間が8時間だとするなら、その半分くらいなわけです。

「そんなこと言ったって、環境は過酷だし毎日、死と隣りあわせだったわけでしょ」と思うかもしれません。しかしこの本の著者に言わせれば、そんなことはないとのことです。

なぜなら、まず資源が豊富だったこと。そして富の蓄積や将来への投資という考えがなかったからだそうです。気になる方は読んでみてください。マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』という本です。


あるとき、国際関係論とかいう学問を勉強をしている学生さんと話したことがありました。彼女は、恵まれない後進国の地域に福祉を持ち込むことが目標だと語っていました。

そのためにはまず、富の蓄積という考え方を叩きこまないといけないそうです。つまり後進国の人々は、その日暮らしであり、将来のリスクについて考えないばかりか、のちのち役に立つための教育にも力を入れないからだそうです。

びっくりしました。
もちろん、世の中にはいろいろな人がいますが、僕はこういうタイプの人に会うとほんとにびっくりします。

きっと彼女は思いやり深く、倫理的な人なのだと思います。けれど…やっぱり、けれど…って思いませんか?

ほんとうにその方が幸せなんでしょうか?未来のためにお金をためて、投資して、いつ死ぬのかもわからないのに労働し続ける社会のほうが?

確かにぼくはポテチもアイスも大好きだし、ネットがなきゃ生きていけません。そしてそのために労働しなければいけないと思います。そして死ぬんでしょうね。

でもこの社会が万人にとって「おすすめ」できるかと聞かれると、おすすめできないです。たとえは悪いけど、猫には猫なりの楽しみがあるからです。そのことを猫に小判なんて言いますね。

むしろ猫からしたら人間が小判を崇めているのを見て、呆れていると思います。食って寝て、ヤッてるほうがいいと彼らは思ってるからです。そうでなければ、サザエさんの猫は魚ではなく小判を盗むようになるでしょう。

もちろん後進国の人々が猫のようだと言っているのではありません。社会の構造が違うのです。レヴィ=ストロースというひとが「熱い社会」と「冷たい社会」ということを言って批判されましたけど、それと同じです。

じゃほっとけばいいのか?と言われたら、僕は国際援助に大賛成です。彼らにもポテチとアイスの楽しみを享受できる社会になって欲しいと思います。

言ってることが逆だって?

なぜならそれが資本主義というシステムだからです。資本主義は利潤を得ないと成立しないんです。企業は成長しなければ潰れてしまうからです。これが熱い社会と呼ばれるゆえんです。つねに膨張しているのです。

資本主義はつねに格差のある下層社会から搾取して成り立つシステムです。平等を掲げるアメリカの新自由主義が格差を拡大し、富の再分配を政府がしなければならないことがよく物語っていますね。

後進国は否応なくこのシステムに巻き込まれてしまったのです。だから援助すべきだと思います。

石器時代にも同様のことが起きたようです。日本で言えば(このときまだ日本はありませんでしたけど)縄文時代から弥生時代への移行です。

狩猟採集が主であった縄文時代から、弥生時代への最大の変換点は国家の誕生でした。それは水耕栽培という形で侵入してきました。それが身分性と領土と富の概念を作り出したのです。

家族を超えた人間集団を維持するためには、統制と食料の蓄積が必要なのは明白ですよね。それが国家の原形というわけです。だから富と領土を欠いた国家というものはありえません。

しかし遥か昔には、国家に抗する社会がたしかに存在していたのです。

その社会がゴロゴロして、グータラしてた社会かどうかはわかりません。けれど、今の社会構造だけが社会というわけじゃないと思うんですよね。

なんつって、うまるちゃんを見ながらそんなことを考えてました。

いつだって全身全霊遊び倒せ もっともっと楽しめよ乙女
みんなに気付かれないように いざ、ゆけ! 干物妹(ひもうと)ライフ
お気にのフードかぶり今日も今日とて、ゴロゴロして
大好物のポテチを手にパソコンとにらめっこしよう

『かくしん的☆めたまるふぉ~ぜっ!』


P.S. 僕がこの文章を書いたとき、今の社会と並行するシステムとして、原始共産主義的な可能性についてもなんとなくイメージしていたことは確かです。

とはいえ、それがいまさら「革命」によってなされるとはとても思えないし(別に共産主義社会になっても欲しくないし)、アーミッシュのような「小規模ユートピア」的選択肢もなかなかにシビアだと思います。

むしろ“イングレス”のようなVR(拡張現実)によって可能になるのかもしれません。遊びは労働をスポーツにするし、逆にパチンコのように遊びが労働になったりもするからです。

労働を遊びによって転覆してしまうこと。

うまるちゃんから考え始めたのだから、そんな結論のほうがぴったりかもしれないなって思いました。

  1. @_NarcolepticM_2015年10月2日 23:53

    (´ー` )労働しなければいけない社会について、
    大昔にさかのぼってのお話しは興味深くておもしろかったです♪

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    1. わー(*´∀`)コメントありがとうございます!!
      現代社会って多様性がどうのって言ってますけど、ほんとうに多様な価値観を許容しているとは僕には思えないんですよね…
      いろんな価値観が衝突して排除しあったりするのではなく、多様なシステムが平行的に乱立しつつも協調するような、もっと大きい社会があったらいいのになって夢想します。
      きの

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